前回の「芥川龍之介を巡る」は「鎌倉・横須賀」でしたが、今回は最初に戻りまして、生誕の地から、両国、江東尋常高等小学校、府立第三中学校までを歩いてみました。二年前の当初の掲載内容からは大幅に追加・更新しています。
「広い門の下には、この男の外に誰もいない。唯、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男の外には誰もいない。」は芥川龍之介の「羅生門」の書き出しです。芥川龍之介の文章は華麗で、頭の良さがそのまま文章に出ており、永井荷風とは違う意味での文章の高い完成度を持っている様に思えます。菊池寛に「人生を銀のピンセットで弄んでゐる」と評されていますが、同時に、「玲瓏と完結したぬきさしならぬ行間に、ふときざす情念のゆらぎがあり、日本人になつかしい抒情がただよう。虚構の花の空間に、身をひそめた優しい花に龍之介の素顔も彷彿する」[ (作家読本(芥川龍之介)]とも言われています。
★左の写真は芥川龍之介の「羅生門」初版本です。いつもの通り、近代文学館の新選名著復刻版です。なかなか洒落た黄色の表紙で、当時としては画期的なデザインではなかったのでしょうか。村上春樹の「ノルウエーの森」の表紙が赤とグリーン(上巻、下巻で)で、なかなか良かったのを覚えていますが、同じようなインパクトがありますね。”羅生門”正しくは”羅城門”は平安京の南北の中心の朱雀大路と、一番南の九条通りが交わるところに建てられていました。羅城門の東に東寺、西に西寺を配していましたが、現在残っているのは東寺だけで、あとは記念碑が立っているのみです。芥川龍之介はなぜ羅生門にしたのでしょうか……!
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