<「芥川龍之介」 宇野浩二著>
宇野浩二著の「芥川龍之介」です。あとがきで宇野浩二が書いていますが、芥川龍之介が亡くなったのが昭和2年7月で、この本を書き始めたのが昭和26年7月ですから、亡くなってから24年目になるわけです。まずは”まえがき”からです。
「芥川龍之介 ── と、かういふ、ものものしい、題をつけたが、この文章は、芥川龍之介のことを、思ひ出すままに、述べるつもりで、書くのであるから、これまでに私が芥川について書いた文章と重複するところがかなりある、(いや、重複するところばかり、)といふやうなものになるにちがひない。このことを、まづ、はじめに、おことわりしておく。それから、この文章は、もとより、評伝でも評論でもなく、私が芥川とつきあった短かい間の、私が、見、聞き、知った、芥川について、その思ひ出を、主として、書きたい、と思ってゐるのであり、さ久ノして、その思い出も、わざと、ノオトなどをとらないで、おもひだすままに、あれ、これ、と書きつづる、といふやうな方法をとりたい、と思ふので、思ひ出すままに述べる事柄の年月があとさきになったり、それぞれの話がとりとめのないものになったり、するにちがひない。かういふことも、ついでに、おことわりしておく。それから、このやうな、はかない、あてどのない、とほい昔のことを、たよりない記憶で、書くのであるから、これから、たどたどと、述べてゆくうちに、つぎつぎと、出てくる事柄に、思ひちがひやまちがひが多くあること、名を出す人たちに、とんでもないことやまちがったことを書いたために、すくなからぬ御迷惑を、かけるかもしれないことを、(かけるにちがひないことを)前もって、おことわりし、おわびを申しあげておく。それから、最後に、これから述べようとすることは、もとより、私のはかない記憶を、たどりながら、書くのであるから、まづしい頭からくりだす、あやふやな思い出が、なくなってしまったら、そこでこの文章は、をはらねばならぬことを、おことわりしておく。…」。
”はかない記憶”と書いていますが、よく覚えているとおもいました。24年も前の事柄ですか日付も定かではないとおもいますが、かなりきっちり書かれています。その上で、芥川龍之介の話だけではなくて直木三十五他のお話も、とても面白く読みました。
★左上の写真が宇野浩二の筑摩書房版「芥川龍之介」です。筑摩叢書88で昭和42年8月発行です。宇野浩二が芥川龍之介について書いていることは全く知りませんでした。でも、とても面白い本ですよ、一読されることをお薦めします!!