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最終更新日:2006年12月25日



●「愛と死をみつめて」 の本を歩く
  初版2006年6月17日 <V02L03> 本を追加

 「愛と死をみつめて」掲載の最後になります。昭和38年12月に「愛と死をみつめて」が、明けて昭和39年1月に「若きいのちの日記」が大和書房から発刊されます。その後のこの二冊の本の出版情況について歩いてみました。

お二人の名前については、ミコ(大島みち子)さん、マコ(河野実)さんと書かせて頂きます。ミコ(大島みち子)さんについては正式には大嶋みち子さんです。マコ(河野実)さんは現在は河野實と掲載されています。


<愛と死をみつめて>
  亀井勝一郎がこの本の裏表紙に書いています。「人間の語る言葉のうちで最も美しいのは、相聞と辞世であろう。相聞つまり愛の歌、辞世すなわち死の歌 ── この二つに人生のすべてが集約されているといっていいのではなかろうか。愛する ── というただ一つの言葉のうちにも人は万感の思いをこめていなに違いないのであって、しかもなお愛すると断言しなければならぬとき、それは人間としてぎりぎりのところなのだ。そして人間のいのちというものは、そういう窮極のところに烈しく燃え上るのである。すなわち人生の根本問題は、つきつめれば愛と死より他にないといえるのだ。この二つが人間の生命力とい、つものの窮極の現われなのである。 亀井勝一郎」。流石の亀井勝一郎です。

左上の写真は「愛と死をみつめて」の昭和38年12月25日に発行された版の八八六版(昭和39年10月28日)です。150万部発行された割には古本では殆どでてきません。初版本が欲しいのですが手に入りそうにありません。


【大島みち子(おおしまみちこ)】
 昭和17年(1942)2月3日兵庫県西脇市生まれ。昭和33年(1958)兵庫県立西脇高校2年在学中に顔面の軟骨肉腫が発病、卒業まで入退院を繰り返すもこの間に、入院先の大阪大学附属病院で河野実さんと出会い文通を始める。昭和37年(1962)同志社大学入学の夏、再発、阪大病院に再入院。一度も退院することなく、昭和38年(1963)8月7日永眠します。(学陽書房参照)

【河野実(こうのまこと)】
 昭和16年(1941)8月8日大阪生まれ。長野県立伊那北高校を卒業後、浪人中に入院した阪大病院で大島みち子さんと出会い文通が始まる。中央大学入学後も文通は続き、二人の往復書簡は3年1カ月間で約400通にものぼった。著書に『愛と死をみつめて』等がある。中央大学商学部を経て東京写真専門学校報道写真科卒業。フリーカメラマン、経済記者を務め、ジャーナリストとなる。「いま企業は何をなすべきか」(大和出版)「脱・官の思想」(共著=現代書林)「素顔のベトナム」(同友館)「巨大市場アジアを狙え」(廣済堂出版)等の著書もある。(河野実さんの名前については、現在は河野實と書かれています)


<愛と死をみつめて>
 版数を重ねるごとに少しづつ変わってきています。掲載されている写真ですが、昭和38年の初版本が一番たくさん掲載されていました。往復書簡のタイトル等も少し変わっていました。下記に版数ごとに四冊ありますが、やっぱり昭和38年12月の初版本が一番いいとおもいます。ただ、古本でもほとんど手に入りません。全ての往復書簡が掲載されている訳ではないので、できれば全て掲載された本の出版を期待します。

<若きいのちの日記>
 此方の方は、最新版では「思い出・解説」の所が一部削除されていました(下記の表を参照してください)。 学陽書房文庫版までに掲載されています。此方もできれば古い本のほうがいいようです。

愛と死をみつめて 若きいのちの日記
出 版 年 月 表 紙 出 版 年 月 表 紙
初版昭和38年12月(1963)

大和書房
初版昭和39年1月(1964)

<思い出・解説>
日記を読んで
中学時代の思い出
高校時代の思い出(1)(2)
思い出(父)
臨終記(母)
大嶋みち子さんのカルテから

初版昭和54年5月(1979)

大和出版
初版昭和44年4月(1969)
新装昭和47年10月(1972)
<思い出・解説>
日記を読んで
中学時代の思い出
高校時代の思い出(1)(2)
思い出(父)
臨終記(母)
大嶋みち子さんのカルテから
大和書房
        ─      ─ 初版昭和47年10月(1972)
新装平成2年10月(1990)
<思い出・解説>
日記を読んで
中学時代の思い出
高校時代の思い出(1)(2)
思い出(父)
臨終記(母)
大嶋みち子さんのカルテから
大和書房
初版平成8年11月(1996)

学陽書房文庫版
初版平成8年11月(1996)
<思い出・解説>
日記を読んで
中学時代の思い出
高校時代の思い出(1)(2)
思い出(父)
臨終記(母)
大嶋みち子さんのカルテから
学陽書房文庫版
初版平成16年12月(2004)

大和書房
初版平成17年4月(2005)

日記を読んで
みち子の戦い(父)
最期の時(母)

大和書房
初版平成18年2月(2006)

大和書房文庫版
初版平成18年3月(2006)

日記を読んで
みち子の戦い(父)
最期の時(母)

大和書房文庫版
 


<夢一途>
 吉永小百合も自身が主演した「愛と死をみつめて」の映画について少し書いてありました。「…そして、ロケの帰り道、山陽本線から加古川線に乗り継ぎ、兵庫県西脇市にある大島みち子さんの実家を訪ねました。お父さん、お母さん、妹さんが、家から飛び出して来て、私を迎えてくれました。「今日一日、みち子になってください」 お母さんがそうおっしゃって、みち子さんが着ていらしたという赤い絣の着物を出して来られました。私は一日だけのみち子さんになって、ご家族とスキヤキを突き、みち子さんのお部屋で休みました。そして翌朝、秋のひんやりとした風にコスモスが揺れる道を、妹さんと手を繋いで歩いたのです。加古の流れの水澄みて……映画の中で歌った西脇高校の校歌を、小さな声で歌いながら。…」。よく西脇高校の校歌を憶えていましたね。映画を見ても何処で歌っていたか分かりませんでした。

左の写真は吉永小百合の「夢一途」です。「愛と死をみつめて」というよりは本人自身の本です。

<昭和30年代通信>
 力道山からビートルズまで昭和30年代に話題になった単語をコメントしています。「… 初めて、この純愛物語を目撃したのは、TBSの東芝日曜劇場だった。母親と妹が観ていたのを「なんだい、このシケた話は」なんて言いながら、いいかげん、観ていたところ、大空真弓扮するミコが、手術で顔半分を切り取るあたりから、いつのまにか、テレビに吸い寄せられ、いつも思いつめているようなマコ役の山本学が、さらに、思いつめるので目が離せなくなった。そして、最後に、ミコの 「…健康な日を3日ください。1日目は家族と過ごし…2日目は、あなたのところへ飛んでいってアイロンをかけてあげ…3日目は、ひとりばっちで思い出と過ごします」 という、有名な日記の一節のナレーションが流れるところでは、不覚にも、涙をこぼしてしまったのでありますよ。…」。うむ…わかるな!!

左の写真は永倉万治の「昭和30年代通信」です。ちくま文庫版です。平成2年7月(1990)ですが、元は1986年に小学館より発刊されています。

<わが体験的日本娯楽映画史>
 吉永小百合と浜田光夫の日活映画(昭和39年)のコメントです。「…この映画のシナリオを書いた八木保太郎は次のように語っていた。 「あの病気というのは悲惨なもんだよ。いろいろ取材して聞いてみると、実際はもう娘のことを、家も見放し、病院もあきらめて放ってあったっていうんだよ。義憤を感じたよ、ありゃあ。病院へ行ってどういう病気かって聞いても、説明できないんだ。あの娘と同じ病気のひとを、ぼくが医者に化けて病床まで見に行ったら、もう顔なんか融けちまってありやしない。枕辺には憂鬱な顔した親戚がただボーッとしてるだけなんだ。これはどうにもなりやしない。そこに愛情とかそういうものがあるわけないんだよな、あの河野という青年に。ただ、健康の時からあの少女を知ってたから、彼女の親とか病気にたいする義憤から手記を書いてるんだ。あの時はまた辛かったと思うんだ」 右の八木氏の言葉と、できあがった映画との差を、次のストーリーから判断していただきたい。…」。かなり厳しいことを書いています。多分これが真実だとおもいます。ただ、昭和30年代は社会的にも、個人的にも生活するのに精いっぱいで余裕の無い時代でした。

左の写真は田山力哉の「わが体験的日本娯楽映画史」です。教養文庫です。古い映画のコメント集です。結構面白い。

<ベストセラーの戦後史 第二集/1970年前後>
 井上ひさしが戦後のベストセラーについて書いています。井上ひさしですから流石のコメントです。「…天は ─ いまのところそうしか言いようがない。神という言い方もあろうし、日本人の集合的無意識と呼ぶも自由であり、宇宙的意志と言ってもよい ─ 彼女の戦いを構造化し、ドラマ化するために、健康で、それだけに鈍感で、そして行動力のある青年を彼女の戦場となる病院へ中耳炎にして送り込んだのだ。健康な青年との恋は彼女の戦いの強力な援軍となった。他方で彼の鈍感さは彼女を苦しめると同時に、彼女をさらに高めもした。そして彼の行動力は彼女の戦記を公けのものにした。彼が日記と手紙の束を持ってあちこちの出版社の門を叩いてくれたおかげで、彼女が絶望と正対しつつ培った勇気がわれわれのものになったのである。恋する道化にして仇役をふられたのは、気の毒といえば気の毒であったが、彼はみごとにそれらの役を演じ切った。…」。「愛と死をみつめて」の読者がおもっていたことをズバリ書いています。

左の写真は井上ひさしの「ベストセラーの戦後史」文藝春秋社版です。平成7年12月(1995)発行です。

<韓流、純愛、初恋病。>
 最近の本では、小林竜雄の「韓流、純愛、初恋病」ですね。今までに出た本の取りまとめ的な本で、河野実さんにもインタビューしています。「… (純愛)ということは今、どう思っているのだろうか。 「”純潔の証明”ということではみち子さんと意見が達いましたね」 「今は肉体関係のあるなしには関係ないと思いますね」 河野も変わったのだ。そう思えるようになったのはいつ頃からだろうか。 それはみち子の三十三回忌を記念して平成九年(一九九七年) に出した自伝的小説『佐智子の播州平野 ─ その後の 「愛と死を見つめて」』 (フーコー刊) を出してからだった。三十年以上たってやっと若き日の純潔にこだわった自分を否定できるようになれたのである。 では、改めて(純愛)とは何か、を訊ねてみた。 「もう、貫き通す愛が(純愛)だと胸張っていえますね」とキッパリといった。 もう一度、聞きたくなった。河野にとって今、みち子とのことはどう思っているのか。 「僕の人生の金字塔ですよ。これ、テリー伊藤さんのラジオ番組にゲストで出た時、いったんです。そしたら、テリーさんも納得してくれました。…」。此方もなかなか面白いです。是非とも買って読んでください。


左の写真は小林竜雄の「韓流、純愛、初恋病」中央公論新社版です。2005年11月初版です。

<昭和が明るかった頃>
 吉永小百合と日活について書かれた本です。吉永小百合の日活版「愛と死をみつめて」では、「…その日,浜田は病室の付添いのベッドに泊る。夜、ふたりは「寒い朝」という歌謡曲を合唱する。歌い終ると吉永小百合が「よ-できました」と浜田をはめ、浜田は浜田で「こいつ」と笑いながらいい返す。「寒い朝」はふたりの共演作で石坂洋次郎の小説を映画化した『赤い菅と白い花』(六二年)の主題歌だからへこれは楽屋落ちである。…」、これはなかなか面白いお話です。日活で一番売れた映画が「愛と死をみつめて」ですから…。

左の写真は関川夏央の「昭和が明るかった頃」文春文庫版です。平成16年11月(2004)発行です。たしか本としても出ていたとおもいます。


【参考文献】
・「愛と死をみつめて」終章 もうひとりのミコ:河野実 大和書房
・その後の「愛と死をみつめて」 佐智子の播州平野:河野実 フーコー
・愛と死をみつめて ある純愛の記録:河野実 大島みち子 大和書房
・若きいのちの日記 愛と死の記録:大島みち子 大和書房
・大阪大学一覧(昭和35年度):大阪大学総務部

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