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最終更新日:2006年12月25日



●「愛と死をみつめて」の伊那市を歩く
  初版2006年3月25日
  二版2006年5月6日 <V01L02> テーマ別にページを分割し「伊那市を歩く」を追加

 「愛と死をみつめて」の伊那市を歩きます。2006年3月18日、19日二夜連続で朝日放送系で「愛と死をみつめて」が放映されました。草なぎ剛と広末涼子が好演しています。当ページへのアクセス数が多いため、ページを分割して掲載します。マコ(河野実)さんの実家がある伊那市については「愛と死をみつめて」関連の本には殆ど書かれていませんでした。マコ(河野実)さんの書かれた「メダカはどこへ」という本に少し書かれておりましたので、参考にしながら歩いてみました。

お二人の名前については、ミコ(大島みち子)さん、マコ(河野実)さんと書かせて頂きます。ミコ(大島みち子)さんについては正式には大嶋みち子さんです。マコ(河野実)さんは現在は河野實と掲載されています。


伊那市駅(JR飯田線)>
 マコ(河野実)さんは大阪で生まれていますが、直ぐに疎開して実家の伊那で幼年時代を過ごします(昭和16年生まれですから当然ですね)。”「愛と死をみつめて」終章”で大阪から伊那へ帰る道筋を書いています。「…「お前、明日信州に帰るのか。それとも、京都か奈良の観光をして帰るのか?」「母ちゃんや弟たちが待ってるから、明日の夜行で帰る」「塩尻で朝五時に乗り換えて、辰野で飯田線に乗って、七時頃に到着するやつだな」「そう。七時台にはバスも走っているから駅からはバスで帰る」…」。マコ(河野実)さんが乗車したのは大阪駅20時25分発、名古屋経由長野行きの準急「ちくま」ではないでしょうか。長野行きですから塩尻で中央線に辰野で飯田線に乗り換えます。当時の時刻表を見ると、伊那市駅着は朝6時頃になるようです。

左上の写真がJR飯田線 伊那市駅です。駅横から駒ヶ岳方面を撮影しています。曇りの天気だったので写真がイマイチです。


【河野実(こうのまこと)】
昭和16年(1941)8月8日大阪生まれ。県立伊那北高校を卒業後、浪人中に入院した阪大病院で大島みち子さんと出会い、文通が始まる。中央大学入学後も文通は続き、二人の往復書簡は3年1カ月間で約400通にものぼった。著書に『愛と死をみつめて』等がある。中央大学商学部を経て東京写真専門学校報道写真科卒業。フリーカメラマン、経済記者を務め、ジャーナリストとなる。「いま企業は何をなすべきか」(大和出版)「脱・官の思想」(共著=現代書林)「素顔のベトナム」(同友館)「巨大市場アジアを狙え」(廣済堂出版)等の著書もある。(河野実さんの名前については、現在は河野實と書かれています)

ミコとマコの年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

二人の足跡

昭和16年
1941
真珠湾攻撃、太平洋戦争
-
8月 マコ(河野実)さん大阪市に生まれる
昭和17年
1942
ミッドウェー海戦
0
2月 ミコ(大島みち子)さん西脇市に生まれる
昭和32年
1957
天城山心中
15
3月 ミコ(大島みち子)さん西脇中学校卒業
4月 ミコ(大島みち子)さん県立西脇高等学校入学
昭和33年
1958
若乃花が横綱になる
長嶋茂雄がプロデビュー
16
5月 ミコ(大島みち子)さん県立西脇高等学校二年生の時に発病、神戸医大付属病院に入院(二カ月で退院)
退院後、休学して神戸医大付属病院に通院
昭和34年
1959
皇太子殿下ご成婚
17
9月 神戸医大付属病院に再入院(一カ月で退院)
11月 大阪大学付属病院(阪大病院)を訪ねる
昭和35年
1960
三池闘争
安保闘争
18
3月 ミコ(大島みち子)さん阪大病院南二階へ入院
7月 阪大病院南館共同炊事場で二人は初めて出会う、文通を始める
11月 ミコ(大島みち子)さん阪大病院を退院し西脇高校に復学
昭和36年
1961
ケネディ大統領就任
19
4月 マコ(河野実)さん中央大学入学
昭和37年
1962
YS11初飛行
キューバ危機
20
4月 ミコ(大島みち子)さん同志社大学文学部社会学科入学
7月 ミコ(大島みち子)さん阪大病院に再入院、マコ(河野実)さん大阪駅でアルバイト、マコとミコ再会する。ミコ(大島みち子)さん日記を書き始める
10月 マコ(河野実)さん大阪に来る
11月ミコ(大島みち子)さん手術を受ける
昭和38年
1963
黒澤明監督の「天国と地獄」
こんにちは赤ちゃん
21
2月 ミコ(大島みち子)さん再手術を受ける
3月 マコ(河野実)さん大阪に来る
7月 マコ(河野実)さん大阪に2回来る
8月7日 ミコ(大島みち子)さん死去
8月8日朝、マコ(河野実)さん大阪に来る


東春近中学校(現 春富中学校)>
 マコ(河野実)さんは昭和22年東春近小学校、昭和28年東春近中学校に入学します。「…中学校になると、学校のトイレの下肥を、桶でかついで農園まで運ばされる。二人一組になって、桶を棒でかついで丘の上にある農園まで担ぎ上げた。 一組二往復がノルマだった。ボクとK君は早足で歩き、早く終えて遊ぶ時間を確保しょうとした。ところが、急ぎ過ぎて先の棒をかつぐK君が、坂の上り口で転んだ。桶の中身がK君の身体を襲った。K君は学校の方に走った。上体までかぶったわけではなかったが、下半身がクソまみれになった。K君は村の中央を流れる大川に入り、腰までしゃがみ込んで、必死の形相で汚物を洗い落とした。十二歳か十三歳の時の臭い話である。その後同級会などで会うと、二人の間では、この事件が話題になる。…」。当時はこの手の話はたくさんありました。東春近小学校の写真も掲載しておきます。

左上の写真が春富中学校です。近くの中学校数校が合併して春富中学校になったようです。場所的には東春近中学校の場所に建てられています。

県立伊那北高等学校>
 マコ(河野実)さんは長野でも有数の進学校である県立伊那北高等学校に進学します。父親は大阪の住友金属に単身赴任で、その上三人兄弟で生活は楽ではなかったようです。「…長野県立伊那北高校時代、ラグビーに明け暮れていたボクは、身体を持て余しながら、実家の信州で家業の手伝いをしていた。耳の病気は命にかかわるものではなかったが、この際、父が会社勤めしている大阪の病院で治してしまおうと思ったのだ。「マコト、大きな病院なら阪大病院と住友病院があるけど、どっちにする? 住友の方が新しいぞ」「うーん、でも大学病院の方が何となく安心できるなあ……」「じゃあ、阪大病院に予約しておくぞ」 こんな偶然が幾つも重なって、ボクたちは出会った。…」。ミコ(大島みち子)さんとマコ(河野実)さんが通った西脇高校と伊那北高校は両者とも県下では有数の進学校でした。最初、阪大病院で出会ったときに話があったのは歳が近かったのと同じ環境だったからでしょう。

右の写真が県立伊那北高等学校の正門です。昔からの学校なので雰囲気があります。今でも有数の進学校のようです。

護国寺>
 マコ(河野実)さんが学校に通う道筋に良く遊んだお寺がありました。「…生家の横を流れる清水川には、春夏秋冬の文化の香りがあった。水源は上流五百メートルの護国寺下からの湧き水である。冬は温かく、夏は冷たい、ほんものの清水だった。夏の川端のそのまた端に、超ミニサイズの池があり、池の中に、スイカ、トマト、桃などを入れ冷やしたものだ。電気冷蔵庫のない時代の天然の冷蔵庫だった。この川は手掘りの小川で、山裾を縫うように清流を運んだ。…」。この護国寺の隣には神社もありました。ミコ(大島みち子)さんが手術をするときにお参りした神社です。「…「苦しきときの神頼み」 「溺れる者、藁をもつかむ」 を実行した。翌日、近くの春近神社にお参りに行き、帰りは市道を通らずに、山に沿った土の道を歩いた。土の道の道端には、幾つかの場所に道祖神があった。道祖神も神様の一種だ。お願い事をして、柏手を打ち深々と頭を下げる。…」。地元の春近神社と護国寺でした。春近神社の写真も掲載しておきます。

左上の写真は中殿島交差点近くの護国寺です。このお寺の前に小さな溝がありました。上記に書かれていた小川なのですが現在は枯れてしまっていました。ダムが出来たのが原因のようです。

栄岡ショッピングセンター>
 「…わが村には、魚を売っている店は三軒しかなかった。生家の近くには、栄岡百貨店があった。地下足袋、炭、文房具、醤油、瀬戸物から、野菜、魚類まで、現代のコンビニよりも、はるかに品数は多い。冷蔵庫のない時代の魚は、すべて干物か、塩漬けにされたものしかなかった。それでさえ、年に数回しか食べられなかった時代が、たった半世紀前に存在したのだ。当時の寒村の暮らしぶりは、全国どこでも似たり寄ったりだったと思う。…」。普通だとコンビニがあるのですが、伊那市駅からは6Km程離れており、余りに田舎で周りにはなんにもありませんでした。

右の写真の中央が栄岡ショッピングセンターです。昔は栄岡百貨店といったのでしょう。でもお客さんは結構いました。

自宅付近>
 マコ(河野実)さんの実家付近です。正面は駒ヶ岳で天気のよい日は絶景でしょう。「…信州の生家には、川端があった。生家は南信州の旧東春近村にある。昭和二十九年に合併して伊那市に編入された。編入されても、市街地にはなりはしなかった。埃だらけの村道が市道になって、昭和三十年代後半に舗装されたが、村の風情はそのまま残っている。…」。当時と比べて生活は格段に良くなっているようです。端午の節句の鯉のぼりがたくさんはためいていました。

右の写真はコ(河野実)さんの実家付近の写真です(直接の写真は控えさせて頂きました)。天気のよい日に再び訪ねたいです。

長野県伊那市地図





【参考文献】
・「愛と死をみつめて」終章 もうひとりのミコ:河野実 大和書房
・その後の「愛と死をみつめて」 佐智子の播州平野:河野実 フーコー
・愛と死をみつめて ある純愛の記録:河野実 大島みち子 大和書房
・若きいのちの日記 愛と死の記録:大島みち子 大和書房
・大阪大学一覧(昭和35年度):大阪大学総務部
・メダカはどこへ;河野實、展望社

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