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最終更新日:2006年12月25日



●「愛と死をみつめて」を歩く <トップページ>
  初版2006年3月25日
  二版2006年4月1日
信濃寮、阪急百貨店の屋上他を追加修正
  三版2006年4月16日 「住吉大社のお守り」と出入橋踏切の写真を追加、一部修正
  四版2006年4月23日 「日立ランプ大森工場」を追加、大阪に行けなかった理由が!
  五版2006年5月6日 
テーマ別にページを分割し「伊那市を歩く」を追加
  六版2006年8月29日 「
ロケ地を歩くで」写真を追加
  七版2006年8月30日 
<V01L01> 西脇市立日野小学校、西脇中学校の写真を追加

お二人の名前については、ミコ(大島みち子)さん、マコ(河野実)さんと書かせて頂きます。ミコ(大島みち子)さんについては正式には大嶋みち子さんです。マコ(河野実)さんは現在は河野實と掲載されています。


 2006年3月18日、19日二夜連続で朝日放送系で「愛と死をみつめて」が放映されました。草なぎ剛と広末涼子が好演しています。当ページへのアクセス数が多いため、ページを上記の通りに分割し引き続いて追加修正のうえ掲載いたします。

 亀井勝一郎がこの本の裏表紙に書いています。「人間の語る言葉のうちで最も美しいのは、相聞と辞世であろう。相聞つまり愛の歌、辞世すなわち死の歌 ── この二つに人生のすべてが集約されているといっていいのではなかろうか。愛する ── というただ一つの言葉のうちにも人は万感の思いをこめていなに違いないのであって、しかもなお愛すると断言しなければならぬとき、それは人間としてぎりぎりのところなのだ。そして人間のいのちというものは、そういう窮極のところに烈しく燃え上るのである。すなわち人生の根本問題は、つきつめれば愛と死より他にないといえるのだ。この二つが人間の生命力とい、つものの窮極の現われなのである。 亀井勝一郎」。流石の亀井勝一郎です。

左上の写真は「愛と死をみつめて」の昭和38年12月25日に発行された版の八八六版(昭和39年10月28日)です。150万部発行された割には古本では殆どでてきません。初版本が欲しいのですが手に入りそうにありません。


<住吉さんのお守り>
 原作には全く書かれていないのですが、朝日放送系で放映された「愛と死をみつめて」の中で私が気になった箇所が何カ所かありました。その中で、大阪駅でアルバイトをして2年ぶりに阪大病院のミコ(大島みち子)さんを訪ねたマコ(河野実)さんがお土産を渡します。そのお土産が「住吉大社のお守り」なのです。草なぎ剛が広末涼子に渡すのですが、その時に広末涼子が「住吉さんのお守りや!わざわざ買うてきてくれたん!」と関西弁で話すのが、妙に印象的に残っていました。本ではスポーツ新聞と週刊誌がお土産になっています。

左の写真が住吉大社のお守りです。本物ですよ。住吉大社まで行って買ってきました。買ったときに住吉大社の巫女さんに聞いたら知っていました。私のような人がいるようです。住吉大社は大阪市住吉区の南海電鉄本線住吉大社駅すぐです。阪大病院からはかなり遠いです。


【大島みち子(おおしまみちこ)】
 昭和17年(1942)2日3日兵庫県西脇市生まれ。昭和33年(1958)兵庫県立西脇高校2年在学中に顔の軟骨肉腫を発病します。高校卒業まで入退院を繰り返します。この間に、入院先の大阪大学附属病院で河野実さんと出会い文通を始めます。昭和37年(1962)同志社大学入学の夏、再発、阪大病院に再入院。一度も退院することなく、昭和38年(1963)8月7日永眠します。(学陽書房参照)

【河野実(こうのまこと)】
 昭和16年(1941)8月8日大阪生まれ。長野県立伊那北高校を卒業後、浪人中に入院した阪大病院で大島みち子さんと出会い文通が始まる。中央大学入学後も文通は続き、二人の往復書簡は3年1カ月間で約400通にものぼった。著書に『愛と死をみつめて』等がある。中央大学商学部を経て東京写真専門学校報道写真科卒業。フリーカメラマン、経済記者を務め、ジャーナリストとなる。「いま企業は何をなすべきか」(大和出版)「脱・官の思想」(共著=現代書林)「素顔のベトナム」(同友館)「巨大市場アジアを狙え」(廣済堂出版)等の著書もある。(河野実さんの名前については、現在は河野實と書かれています)


「愛と死をみつめて」関連地図(見たい所をクリックして下さい)



ミコとマコの年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

二人の足跡

昭和16年
1941
真珠湾攻撃、太平洋戦争
-
8月 マコ(河野実)さん大阪市に生まれる
昭和17年
1942
ミッドウェー海戦
0
2月3日 ミコ(大島みち子)さん西脇市に生まれる
昭和32年
1957
天城山心中
15
3月 ミコ(大島みち子)さん西脇中学校卒業
4月 ミコ(大島みち子)さん県立西脇高等学校入学
昭和33年
1958
若乃花が横綱になる
長嶋茂雄がプロデビュー
16
5月 ミコ(大島みち子)さん県立西脇高等学校二年生の時に発病、神戸医大付属病院に入院(二カ月で退院)
退院後、休学して神戸医大付属病院に通院
昭和34年
1959
皇太子殿下ご成婚
17
9月 神戸医大付属病院に再入院(一カ月で退院)
11月 大阪大学付属病院(阪大病院)を訪ねる
昭和35年
1960
三池闘争
安保闘争
18
3月 ミコ(大島みち子)さん阪大病院南二階へ入院
7月 阪大病院南館共同炊事場で二人は初めて出会う、文通を始める
11月 ミコ(大島みち子)さん阪大病院を退院し西脇高校に復学
昭和36年
1961
ケネディ大統領就任
19
4月 マコ(河野実)さん中央大学入学
昭和37年
1962
YS11初飛行
キューバ危機
20
4月 ミコ(大島みち子)さん同志社大学文学部社会学科入学
7月10日 ミコ(大島みち子)さん阪大病院に再入院、マコ(河野実)さん大阪駅でアルバイト、マコとミコ再会する
ミコ(大島みち子)さん日記を書き始める
10月 マコ(河野実)さん来阪
11月 ミコ(大島みち子)さん手術を受ける
昭和38年
1963
黒澤明監督の「天国と地獄」
こんにちは赤ちゃん
21
2月 ミコ(大島みち子)さん再手術を受ける
3月 マコ(河野実)さん来阪
7月 マコ(河野実)さん2回来阪
8月7日 ミコ(大島みち子)さん死去
8月8日 朝、マコ(河野実)さん大阪に来る



【参考文献】
・「愛と死をみつめて」終章 もうひとりのミコ:河野実 大和書房
・その後の「愛と死をみつめて」 佐智子の播州平野:河野実 フーコー
・愛と死をみつめて ある純愛の記録:河野実 大島みち子 大和書房
・若きいのちの日記 愛と死の記録:大島みち子 大和書房
・大阪大学一覧(昭和35年度):大阪大学総務部

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